ソクーロフ「太陽」

気合い入れて休みにしては少し早く起き、映画を見に行ってきた。
といっても新百合ヶ丘。車で15分。
見たのはソクーロフ「太陽」です。
文才がないのでパンフより引用。


>舞台は、終戦直前から天皇マッカーサーの会見が行われる
>占領下の東京。(中略)昭和天皇を権力の頂点に君臨する人物ではなく、
>恐れや弱さを持ったひとりの人間として描き出した。


そういう映画です。
日本での公開は不可能とまで言われていたとのこと。
銀座で公開されていたのは知っていたのだけど
なかなか行けなかった。
そしたら新百合のワーナーでやってるじゃないの!
だいぶ意外だわ。


ソクーロフの映画は「エルミタージュ幻想」しか見たことがない。
エルミタージュ美術館を舞台に90分カットなしで近現代史をみせる映画。
映像の雰囲気は似た感じのところも。
今ちょっとがんばって「エルミタージュ幻想」見たときの日記を探してみた。
2003年6月に見ている@ユーロスペース(旧)。
そのときは、ロシアの雰囲気を正しく表現した映像→
世界が、世の中のいろんな動きをネット上でまかなえるフロー部分が多いものになっても
国民国家が存在する限り土着の文化や草の根市民的動きはなくならないだろうなぁ→
完全にフローにもならず、ローカルに引きこもりもしない世界ってどんな?
という思考の過程をたどったようです。


この淡々とした映像作りは好きだなぁ。
スピード感はなく、静謐。
突然カットが変わってなぜか新しい展開になっていたりする。
ヨーロッパ映画ってそういうものが比較的多いのではないかしら。


今日の映画ですごいのは、「何を撮りたいか」が明確であるということ。
説明にあたるようなものはほとんどなく、
エンペラー(役名)の日常を淡々と移し、
そのとき具体的に世の中がどうだったのかではなく、
彼はどのように思考していたか(「何を考えていたか」とは微妙に違う)を追う。


自分には日本人としてのアイデンティティが存在することも確認。
例の一家は何か触れてはいけない特別なものだという刷り込みがある。
この着想は、外国人だからできるんだと思うな。
最後の方の展開とかさ。
最終的にソクーロフが描きたかったところ。
ものすごく新鮮な気持ちがした。


その後の歴史的な事実を知っているとリアルな緊迫感ってないけれど
こういう右だ左だという主張とは別の次元の表現を見ることで
日本は敗戦国で、天皇は敗戦国のトップなんだというところとか
客観的な目で認識できる。
もうほとんど公開している劇場はないと思うけれど、
もしお時間ある方いらしたらオススメです。見てください。


蛇足いきます。
7月に新しくなったママカー(赤い)を
私は雨の日に運転したことが実はなかった。
ということに雨が降ってから気がつく。
この車、ハンドルの左にしかレバーがなくて、
左がウインカーなんだからワイパー右でしょ、と思ったら存在しなかった。
左レバーを前に倒したらライトがアッパーになり、
後ろに倒したら別の何かが作動(笑)。
その間にも雨は降る。危険。少々焦った。
そこでようやくレバー先端を回すのだということを知りました。
車は基本操作を踏まえてから運転しましょう。