広告とプロモーション。消費の本質って?

出勤途中のコンビニで見つけたPENが「広告のデザインvolume2」。
第一弾は04年の秋か冬頃で、
その頃の私は、だいぶ誤解を招く表現だが「仕事を面白くするにはデザインとアート感覚だ」くらいに思っていて、
リナシェンテの広告の記事が出ていたこともあって、即購入した記憶がある。
その続編ということで今回ももちろん買い。
私の興味の対象が動いたせいもあると思うけれど、
今回の方が本質論に関わる表記が多かった印象です。


私は広告というものにはさほどの興味はないのだが、
ものの本によると広告とは「人々の態度を変えるもの」で
セールスプロモーションとは「人々の行動を変えるもの」とのことなので
その連関性は非常に高いと思われる。
面白い広告と面白いセールスプロモーションがかみ合えば、
広告業界の先にあるものが出来るんじゃないか、とちょっと考えた。
その点に於いて、この雑誌の中で
スターウォーズのボトルキャップを集めたくて老若男女がペプシ大人買いに走」ることを
「広告戦略」と言っているのは違うのではないかと思う。
広告はペプシマンであって、ボトルキャップはセールスプロモーションだ。
ペプシはともかく、特に大貫卓也という人に関する記事の一部は
「広告」という言葉をそのまま「セールスプロモーション」に置き換えて読める内容で、
時間がないなんていう理由で形がとれていればとりあえず良し、という仕事を大いに反省した。
何のためにそれをするのか、本当の意味で機能しているのか、
という根底の部分をしっかり考えて固める必要があると思う。
店先の「冷やし中華始めました」は確かにきっちり目的を達成している紙媒体なのだ。


そんな本質論を考えさせられながら仕事。
私は確かにそこにあるものを売るのが仕事なのだけど、
消費行為の本質ってなんなんだろう。
私が売るような商品は売った瞬間からその価値は減衰していくに違いないものであり、
そういうものを消費する行為って本当に効用で考えていいものなのか。
効用は逓減するからまた新しいものが欲しくなる、なんて動物的なロジックではなかろうか。
逆に、こちらサイドから見ればさしあたっては予算達成が目的ではある。
でもそれはとても現実的な問題であるし、
もしそこで思考を止めて良いのだとしたら
とにかく売る、それでおしまい、ということになるだろう。
でもそうじゃないでしょ?
それじゃ何も生まないし、何も面白くない。
余談〜それでは「面白い」ことが本質かという議論もできるけど、そうではないと思う〜余談終わり。
売らなきゃ話にならないのです。それは間違いない。基本事項。
売れなくてもいい、なんてことはほとんどの場合ない。客寄せの場合はありかなぁ。
まずとてもマクロな問題として「消費行為の本当の意味とは?」。
次にもうちょっと現実に落とし込んで「うちの店(売場)で行われる消費行為の本質ってどういうところにあるの?」。
それらを踏まえて、「どういうプロモーションを行うのか」を考えるべきだと思う。
ここでものを買うとは(冷やし中華始めました的本質論で言うと)こういうことです、というのがあって初めて
じゃあこんなターゲットにこんな訴求方法でこういう魅力あるプロモーションをやります、
という提言ができるバックグラウンドを持てるのではないかなぁ。


現実にはそんなことを言ってると何も出来なくて商品が空っぽになります。
考え続けながらどこかで妥協して形にしていく作業を続けないといけない。
その妥協点が理想と近づいてくればいいのかな、と実務ベースでは感じるわけです。
やっつけ仕事をしてはいけないよ、という教訓と、
マス向けというよりは絞り込もうという今の私の方向性は間違ってはいないだろう、という確認と、
消費行為の本質論はずぅぅっと考え続けるべき問題だ、という発見を
この1冊の雑誌から得た、そんな一日。