フィクション。

昔から本を読むのは好きなのだけど、ドラマを見る習慣はあったことがない。
大河ドラマのみきちんと見ていた時期はあったけど、
あの「次週を待つ」というのがダメらしい。
本は自分のペースで進むことができるのが良い。


私にとってのフィクションって「別世界」なので、
ミステリーとかファンタジーとかSFとか、非日常的な話が好きです。
小学生の頃「ティーンズハート」という少女小説文庫が流行ったときも
中学生の恋愛話とか本当に興味がなくて「アリスシリーズ」が好きだった。
あと、「〜が聞こえる」っていうシリーズも好きだったけど、
主人公が好きになる男の人が本当に私の好みと違っていて全然ダメで、
話の筋は破天荒で冒険譚で面白いのだけど恋愛が入ってくると嫌いだったな。
そんなことを思い返してみると、私の中で娯楽(として位置づけられる)小説というのは
ものすごく変わった人たちが登場する物語である、ということが結論づけられます。
舞台が日常であっても、変わった人たちが出てくれば面白いのは自明ではないだろうか。
もしかして、ちょっとずるい(作者が)?


それにしても本ってすごい物質だなー。
だって、要は「紙に文字が印刷されて閉じられている」だけのものなのに
最新のエンターテインメントテクノロジーに決して劣ることのない娯楽を供給してるんだもの。
フリッカー式』の続きの『エナメルを塗った魂の比重』を読み終えた。
とてもとっちらかった小説。
話の作りは(というかオチの付け方というか)前作とそう変わらない。
ある意味定型化している印象。
とにかく、これだけ散らかった文章の固まりたちを、
分量としてはそこそこ多いこのノベルス1冊分飽きずに読ませるってすごい。
内容的にはたいしたことない、うーん、むしろくだらないのに。
これでやっと、前から読みたかった『沈没ピアノ』(未入手)。
エナメルを塗った魂の比重 鏡稜子ときせかえ密室 (講談社ノベルス)


それと、この前の『MAZE』で、世の中が進むとどうなるか、という議論が良かった。
私は恵弥と同じようにアナログとデジタルの世界が極端になると思っているので。
これに関する彼の長い台詞がまさに私の考えたことと一致していて、
思いがけず街中で知人と会ったときのような気分になった。
しかしいずれにしても、客観性を以てすればある程度予想は可能なのです。
デジタルが進むとできること個別にはわからなくても、俯瞰的にはなんとなくわかる。
攻殻機動隊みたいな世界を予想するのは簡単なことです。
そういう予測を大はずれにする、パラダイムシフトを起こすような何かってないかしら。
そしてそれはどんなものなのだろう。どきどき。
『MAZE』では、デジタルとアナログが進んでくると
行くところは精神性の世界だと言っていた(そして若干の反対を受けていた)けれど・・。
それは好みから言ったら嫌だけど、筋は通ってると思った。