ハンドクリーム

そういえば昨日、話題の「有頂天ホテル」を観た。
期待通りの面白さだったなぁ。というより、
もっとくだらないお笑い的などたばたかと思っていたので期待以上だった。
フランス映画っぽい。小さいフランス映画の気配がする。
戸田恵子篠原涼子オダギリジョーが良いです。
それぞれ良さの意味が全然違うのだけど。
仕事を想起させつつ(客商売なので)、楽しくて仕事を忘れる時間を過ごせた。
ていうか、映画一つでほっとしちゃう私、なんかちょっとやだなぁ。
あ、佐藤浩市がどことなく上司に似てる。
もともと、こういうクラシックな作りの映画は好きなのです。
一つのところに登場人物みんなが集まってきて何かが起こる映画。
books&moviesのところに言及したもので言えば
HOTEL」とか「ゴスフォードパーク」とか。
最初に雰囲気似てるな、と思ったのは「奇人たちの晩餐会」。
バカなんだけど上品などたばた&ちょっぴり感動(こういうのが好き)は
「ザ・ロイヤル・テネンバウムス」に似てる。


表題はハンドクリームでした。
社会人になるまでハンドクリームって苦手だったのに、
あるとき後輩からロクシタンのハンドクリームをいただいて、
それからもうロクシタンのハンドクリームなしでは生きられない体になってしまった。
職場において「それ絵の具?」と言われようと。
マネージャだけが「あ、ロクシタンだ」と宣った。さすが。
特にこの冬は去年より実質忙しいのと過酷な労働環境(倉庫とか)が存在するのと寒いのとで
去年の何倍ものクリームを使っている。
大きいのが欲しくなってきたけど、置く場所がないなぁ。
ちなみに家ではよーじやのまゆごもりを使用中。
これもかなりいいけど、ロクシタンの方がこっくりしててお気に入りです。


ファンとして書いておかねば。
やっと『レタス・フライレタス・フライ (講談社ノベルス)を読んだ。
最初と最後がいつものシリーズでした。
森に関してはもうなんだかすべてがどこかのネタ(というか伏線)なんじゃないかという気分に。
先日『迷宮百年の睡魔』の漫画版の方を読んで、
なぜ女王が○○○○○と言えるのかを微妙に発見した気分になっていることもあり。
それで最初の話のX・Jってなんかそういうつながりがあるのでしょうか?
今のところ思いつかないのだけど・・・。
例えばX・Jが警部の子供を産んでその子(か子孫)がどこかに出てくる誰かであるとか。
フランソワは結局やはり大方の予想通りのところに落ち着きました。安心。
医者の身内(笑)は何の仕事してるんだろうねー。
萌絵ちゃんはお嬢様だからか、単にシリーズによる作風の差なのか、
Vシリーズ時のれんちゃんたち学生陣の方がS&M(最初期を除く)〜の萌絵ちゃんより年下なのに、
なんとなくオトナっぽく感じませんか?
穿った見方なのだけど、現代に近づくにつれ摂取すべき情報量ってものすごく増えている。
それに比べて摂取できる人間のキャパシティの拡大は情報量の増加よりも緩やか。
必要な情報量を摂取するには、今までの人が行っていた何かを削除する必要がある。
現代人に近ければ近いほど、少しずつそうしているんじゃなかろうか。
単純にれんちゃんと萌絵ちゃんを比較した場合、森博嗣はれんちゃん→アナログ気味
萌絵→デジタル気味という書き分けをしてると思う。
頭の良さは似たり寄ったりだけど、萌絵ちゃんの方が広く薄い印象があるのです。
れんちゃんの方が余計なことを感じ取れそう。
それって、単なる個性の違いなのかしら。
私はなんとなく、時代を流れる空気の差なような気がする。
敢えて違う時代を舞台に10冊ずつのシリーズを出すのって、
その空気の差を明確に書き分けることができるからかもなぁ、なんて思った。