使えないトーク。

今日の作業場はとある「使えない人」の話題でもちきりでした。
本来は腹を立てるべきところなのだけれど、あまりにひどいため笑い話になっている。
ただの使えない人を通り越して会社に勤める人として常識的にいかがなものだろうか。
そういう困ったちゃん(50代男性)の話でした。


その困ったちゃんのせいで昨日は業務効率が平常時の半分以下だったらしく、
その分今日はすごく大変だった。
合間を縫って正月展開の話とDMに使う写真選び。
12月なのに催しが2つか3つあって、故に正月担当の人員が足りなくて大変らしい。


ところでペットボトル茶についてくるりらっくまのキーホルダー、
色が付いてないバージョンはシークレットなのでしょうか?
先日営業さんにもらったやつは普通バージョンで、今家にあるのは色がないんだけど、
いずれも袋を捨ててしまったためなにがシークレットなのかわからない。
もしシークレットだったら嬉しいけど、色がないのはあまりかわいくないなぁ。


映画を見る前にやっぱり再読しようと思って『姑獲鳥の夏』を読んでます。
たぶん4回目くらい。
文庫版 姑獲鳥の夏 (講談社文庫)
お昼休みに読んでいたら周囲の喧噪を忘れて夏の暑い雑司ヶ谷の気分になって
抜け出すのに一苦労だった。
京極夏彦はもちろん面白い小説なのだけど、
小学校の頃鬼子母神雑司ヶ谷周辺に縁があったので懐かしい。
大学のときも、図書館から神田川を抜けて目白台を通って不忍通りという散歩ルートが好きだった。
今の楽しさと学生の時の楽しさで根本的に違うのはそのスパンの長さだと感じる。
今は短い楽しさを繰り返している感じ。カンフル剤のようなもの。
学生の時はもっと時間の流れ方がゆったりしていて、
気持ちは焦っていたけれど楽しみの質は高かった気がするな。
最近は物事が見えると同時に自分がどこまでできるのか不安になってきた。
そして鈍感だったはずの私が、人間観察によって行動を予測できるようになってしまった。
「しまった」って悪いことなのかはわからないけど、
そうなると諦めたり達観したりすることが増えて面白くない。
それでりらっくまもらったりするどうでもいい些末で突然の事態が
自分の中で意外な刺激になっていたり。
あっ、ジャミロクワイのアルバムまだ買ってない!(突然思い出した)