依然多忙。

カーニヴァル化する社会 (講談社現代新書)
カーニヴァル化する社会』とかいう新書に書いてあったのだけど、
仕事とは躁鬱の繰り返しらしい。
例えばあるプロジェクトを立ち上げようとがんばる=躁→ルーティンワーク化する=鬱。
鬱状態ではやってられないから「自分は『何か』に向かっているんだ」と自己を高揚させる=躁→
しかし肝心の「何か」は高揚のための無限遠の設定だったりして虚無感に襲われたりする=鬱。
この本自体はそんなたいした本ではなかったけれど、なるほどね、と思わせる部分は多かった。
瞬発的に自己を高揚させる云々とか。


体調があまり良くないのだけど土日ともに仕事→飲みなので今日はばっちり早く帰ろうと思っていたが、
そうはうまくいかずなぜか1時間オーバー(涙)。
仕事量が予測不可能というのが販売員の辛いところです。
いままで「今日発生するだろう仕事」を低めに見積もってもなんとかなったのに、
最近はそれを多めに考えないと「今日やろうと計画している仕事」が終わらない。
それでも突然1時間2時間つぶれる何かが降ってきたりするし。
今日の電話とか(怒)。
やっぱり要領が悪いのかなぁ。
明日は珍しく若い人向き商品選定に出す商品を考えるのだ。
催しの商品も急に準備するものが増えて、考える時間もない。
とはいえ一般の社会人はもっともっと働いてるんだよねぇ・・・。
そう考えると愚痴も言えないです。
愚痴はないではないけど、不満はあんまりない。それはたぶん幸せなんでしょう。